お知らせ
ブラジル山形県人会創立70周年記念式典 【機関紙AIRY 102号から】
今から100年以上前の1908年(明治41年)、本県からブラジルに向けての集団移住が始まりました。その後1953年(昭和28年)にブラジル山形県人会が山形縣同郷會として創立され、今年でちょうど70年になります。その記念式典が10月29日にブラジルのパラナ州ロンドリーナ市で盛大に催され、山形県からは吉村知事などが来賓として出席しました。
山形県人移住のあゆみ
1908年(明治41)4月28日、移民を乗せた「笠戸丸」が神戸を出港し、6月18日、ブラジルのサンパウロに到着したところからブラジル移住の歴史が始まります。日本人の集団移住は1868年(明治元)のハワイ移住にはじまり、続いてアメリカ本土やカナダ等に広がりました。しかし排日運動が深刻化し、アメリカやハワイ等への移住が禁止され、次の移住先となったのがブラジルでした。
最初の移住者の多くはコーヒー園の契約労働者として入植しました。移住者の斡旋はすべて民間で行われていましたが、日本政府が積極的に移住を推進したのは1924年(大正13)以降で、その最盛期は1933年(昭和8)~1934年(昭和9)、この間に年間2万人を超す人が移住しており、1908年から1941年まで約19万人がブラジルに渡っています。
「笠戸丸」には大石田町出身の高桑治平が乗船しており、正式に入国した山形県移民の第1号とされています。しかしその1年半前には大石田町出身の鈴木貞次郎がブラジルに入国し、移民の先駆としてコーヒー園労働の体験をし、笠戸丸移民が到着した際には通訳をするなど、日本人移民の草分けとして尽力しています。彼らを筆頭に、山形県からの移住者は1906年(明治39)から1978年(昭和53)までの間に5,826人になります。